『龍馬伝』第13回・さらば土佐よ
3月の最終週。
新しい旅立ちを目の前に控えた人々も見つめる『龍馬伝』。 私も、4月から変化がある…ので、 “脱藩”とか“旅立ち”とかに対して、ある種の感慨がありました。 龍馬の将来は、もちろん時代を超えた私たちは、 不明な点や食違う点はありつつ、まずまず知っている訳ですが、 「ぢゃぁ。私はどうなるん?」とか 「私の未来は、ずっと時間が経ってから、笑える未来なが?」とか… 不安とほんの少しの期待が、目の前にぶらさがっているのに、 案外に家族の理解を得ている、龍馬の旅立ちを見ていると、 複雑な気持ちはぬぐえませんでしたね…スミマセン。 吉田東洋は、土佐の厳しい身分制度の中で、 珍しく異例の出世をした人です。 吉田家は、もともとは長宗我部氏の重臣で、 いわば“下士”側の家系でもあったわけです。 それが、下士を圧するような政策を強いていたのはなぜなんだろう?という気もしますが、 一方で、岩崎弥太郎や間崎哲馬(のちの土佐勤王党幹部)なども、 上士の子弟と同様に自分の塾で教えていることからして、 「能力のあるものを愛でる」という姿勢は、あったのかもしれません。 では、武市さんはなぜ彼を憎み、暗殺を企てたのでしょう? 私としては、 武市さんは、藩上層部の“旧守派”を「操っている」つもりで、 内実は「操られていた」んではないかと、思っています。 東洋を暗殺という手段で遠ざけたのは、 それが“最新最先端”の政敵追落しの手法だったから… 結局、武市さんの『求心力』に対して、旧守派が目をつけたんでしょうけども、 『求心力』が、自分に備わった資質でそれが変化しないという誤認が、 武市さんの今後につながっているのではないかな~…と。 今の時代でもそうですが、自分の信念だけでは多くは動かせないかと。 …時間が経っちゃったんで、こんな感想しか出来なくてスミマセン。 でも、龍馬が持って出た刀が、 “陸奥守吉行”じゃなくて、“肥前忠広”だったので、 「よしよし。」と思ったり、 乙女ねぇやんが補強してくれた袴を握りしめて泣く姿を見て、 しみじみと泣いたことも、ここにしっかり記しておきます(^.^)♪
by mar_beads1010
| 2010-03-28 23:57
| 『龍馬伝』
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