Margarita =ぶろぐ枕草子=

篤姫の衣装【鹿児島1泊2日・その3】

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大河ドラマ『篤姫』でも、見どころの一つは衣装。
公式サイトでも「篤姫」スタイルブックなるものが
登場しています。
1つ1つ時代考証をして、このドラマのために作られたのでしょうし、
“皆さまの受信料”で運営されている放送局ですから、
すこしでも還元していただけると嬉しいというもの。
…というわけで、今回の鹿児島旅の目的にも
「篤姫の衣装をじっくり拝見」という項目がありました。
【その3】では、篤姫の衣装、
ドラマで着用のモノと、
東京国立博物館や徳川記念財団所有の
ホンモノの篤姫が着たモノについてご案内します。
…字が多いのですが、おつき合い下さいm(__)m
 




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1日目の『天文館むじゃき』に行ったあと、向かったのが
ドルフィンポート内に期間限定(H20.1.6(日)〜H21.3.31(火))で開催されている
大河ドラマ『篤姫』の篤姫館
こちらでは大河ドラマの世界観を体験することができます。
 
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ドルフィンポートにはハイビスカスが咲いていて、
「おぉ。南国に来たんだなぁ〜」という思いを
感じさせてくれましたが…
 
車を停めたのが、目的の『篤姫館』(黄色の丸印)から遠い場所
(赤い矢印のトコロ)だったので、
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随分と歩くはめになりました。
…確認してから行けば良かった(^o^;)
 
篤姫館のエントランスは“大奥御鈴廊下風”と聞いていたので、
期待して行ったのですが…
 
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…こんなカンジでした(-_-;)
平面のっぺり〜で、ちょっと残念。
しかも、この日は社員旅行のおじさん&兄ちゃんが多く、
周りでもアルコールの匂いがぷ〜ん(>_<;)
「ドラマ見てないから、何か分から〜ん」とか
「歴史は知ら〜ん」とか大声で言ってて、
雰囲気ぶちこわし(-_-#)
諌めている人も中にはいましたけど、
観光バスツアーで、半ば強制的に連れて来られたんでしょう
その人たちがほぼ通過という具合に館内からいなくなるまで
あまり楽しめませんでした(-_-;)
 
でも、篤姫の衣装が展示されてあるスペースには
見学の女性たちの姿がたくさん。
皆、真剣に衣装を見たり、
ハイビジョンシアターでホンモノの篤姫
(宮崎あおいちゃんでなく史実の篤姫)の着用した衣装の解説
“大奥の美”を見たりしていました。
…なんだかとってもホッとしました。
 
冒頭で紹介した衣装は、
あおい篤姫(←史実上の篤姫と区別するためにこう書きます)着用の
「朱地疋田に花柄格子金襴振袖打掛」
 
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「篤姫」スタイルブック・打ち掛けカラーバリエーションでも紹介されています。
これは、多分江戸の薩摩藩邸か
大奥へやって来て間もなくの婚礼前かに着用しているもの。
何故そんなことが分かるか…というと、
NHKおしゃれ工房の夏スペシャル(8月27日放送)でも
紹介されていたことの受売なんですが、
「大奥江戸城内では刺繍(縫い)を格上、
 京都の公家衆では織を格上と扱った」らしいのです。
京都で婚礼用の衣装を誂えて、また公家の養女として嫁いだ
あおい篤姫は、初期の打掛は織でしたが、
御台所となり、大奥にて作った打掛を着用するようになると
それが刺繍の打掛に変わります。
…気になる人は、ドラマを見返してみて下さいね(^o^;)
 
また、京都では織が格上だったことをドラマ化するために
和宮の衣装は織(っぽい刺繍)になっています。
 
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「紅地亀甲地紋に向い蝶柄有職模様袿」
確か孝明天皇に拝謁して、江戸に降嫁してくれと頼まれた時に
着ていた袿(先程の振袖打掛と袖の長さが違います)でした。
現在放送中のドラマでも、
あおい篤姫は襟元に刺繍の入っている衣装、
堀北和宮は織(っぽい刺繍でしょう
…ホンマに織だと高価すぎ、時間がかかりすぎるので)と
“武家風と御所風”の対比になっています。
 
松坂幾島の衣装は、あおい篤姫の居間風再現セットの中にありました。
 
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「鶸色(ひわいろ)地白疋田に四季花柄織物打掛」
ドラマでも大奥奉公の女性たちは、
細かい模様の織(地模様無し)衣装を着て、
大胆な刺繍のあおい篤姫との対比をさせてあります。
中でも滝山の衣装が割と大柄めに作ってあって、
滝山の大奥での地位の高さが、
衣装でも分かるようにしてあることに
だんだん分かるようになりましたね。
 
さてさてメイン・イベント(^.^)♪
私もあおい篤姫の衣装を着て来ましたよ〜(o^-^)b
「朱地金雲に鳳凰の丸柄金襴振袖打掛」
 
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これは公式サイトのトップページや、
NHK大河ドラマ・ストーリーブック『篤姫』後編の表紙、
ポスターなどでも使われている写真と同じ衣装。
「大河ドラマ「篤姫」のイメージとしての打掛」に
もっとも沿ったもの。
…思ってたよりも、軽かったです。
まぁ撮影時はこの下に何枚も着て、帯を締め
カツラや簪などの重みが頭上にもありますから、
身動きが取れずにぐったりしそうになることでしょう。
女優さんはやはり体力勝負ですね。
 
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「篤姫館」出口近くには、
ロケで鹿児島を訪れた俳優さん&女優さんのサインが。
皆さんドラマが始まったばかりの意気込みが伝わりますが…
松坂幾島さんの“鉄の女”って??
 
今では貴重品になってしまった
番宣ポスターもありました。
 
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2枚目の「江戸・大奥バージョン」は
ドラマのタイトルバックと同じクリムトをイメージしてあるのは
一目見て分かりますが、
1枚目の「薩摩バージョン」は浮世絵で
薩摩の自然をイメージしているって…
今回公式サイトを標榜していて知りました。
いろいろと奥が深く&作り込んでいますなぁ〜…N○K。
ポスターの下には
「皆様の声と受信料で公共放送」
その固さも○HKらしい!
 
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ドルフィンポートには、たっくさんの焼酎が購入出来る
「薩摩酒造」というお店もありまして、
“篤姫”の名前を冠した焼酎や梅酒も購入出来るほか
なかなか手に入らない芋焼酎や酒器・くろぢょか(黒千代香)も
いろいろ取り揃えてあります。
ちょうど“汚染米不正転売問題”に関する「安心してご購入下さい」の
注意書きもあったのも、印象的でした。
焼酎、とくに芋焼酎がお好きな人は
是非にも立ち寄って欲しいお店です。
 
2日目に行ったのは、鹿児島県歴史資料センター『黎明館』
鹿児島城(鶴丸城)址にある資料センターで開催されている
『天璋院篤姫展』を見るためです(o^-^)b
 
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この展覧会は「NHK大河ドラマ特別展」であり
また「黎明館開館二十五周年記念企画特別展」。
キャッチフレーズは“篤姫、薩摩に帰る”
幕府瓦解後も徳川のために尽くし、
一度も故郷・薩摩へ戻らずに亡くなった篤姫のお里帰り…
今では東京国立博物館や
徳川記念財団・尚古集成館に収蔵されている
実際に篤姫や和宮が使用していた衣装やお道具が、
これでもかこれでもかと展示されているのです。
 
展覧会は、全体を6章に分けて構成されていました。
 
◇プロローグ 篤姫のふるさと薩摩
ここでは、薩摩切子や白薩摩焼など薩摩の風土を紹介したり
島津家全体の成り立ちなどを紹介していました。
島津家初代・忠久が、近衛家の家司だったことから
島津家と近衛家のつながりの深さなどが分かりました。
 
◇第1章 御台所への道のり
ここではまず、徳川家と島津家を結びつける
重要なキーパーソンとして竹姫(浄岸院)が登場。
徳川の歴史が、綿々と繋がって来たこと
同じように、島津の歴史も滔々と流れて来たことが分かります。
この竹姫に関しても、
いつかゆっくりご紹介出来たらと思います。
そして、天璋院篤姫が入輿するまでに
島津斉彬が近衛忠煕と交わした書簡、
(近衛家が篤姫を養女にする事を内諾した事のお礼)
篤姫が養父となる近衛忠煕に宛てたお礼の手紙、
(然去ル朔日私事御養女御熟談申上候様被仰出 誠以冥加至極...)
また篤姫の江戸入りはペリー来航の二ヶ月後で
国内情勢が大混迷だったこと、
安政の大地震が起こった事など、
篤姫が大奥へ入るまでの様々な出来事が
濃く濃く紹介されています。
 
◇第2章 婚礼〜家定と敬子〜
ここでは、家定の持ち物(刀や具足・衣装)
家定筆の絵画(掛軸)に始まり、
明治期に書かれた大奥の婚礼の模様を書いた絵や
床の間の飾りの図、
ドラマで出て来た、篤姫の掛軸にそっくりな
「天璋院所用 薩摩桜島真景図」、
天璋院所用の“磯御庭焼”(白薩摩焼の最上級の物を指す)や
“薩摩切子”(ドラマにもそっくりのものが篤姫居間にあり)、
天璋院所用の化粧道具や鏡・鏡台・櫛台・歯黒道具、
近衛忠煕宛の敬子(天璋院篤姫)書状、
近衛家老女村岡宛のつぼね(幾島)書状
(家定の継嗣を禁裏より申付けることは
 今の所止めて欲しいといった内容)などなど、
全くに大河ドラマで描かれていた事は
「ホントにあったことだったのね〜」と
錯覚してしまいそうになる品の数々を
びっちりみっちり見る事が出来ました。
特に手紙は、
その手紙の「大意」がフリップにして添えてあるので、
生の声が聞こえて来るようで感動しました。
 
◇第3章 江戸城大奥
ここでも、篤姫の所用していた手回り品や、
石印・香道具・硯や文鎮などの展示がありましたが
もっとも注目すべきは、
殆ど現存していない(奉公していた人々に下渡されたためとされる)
篤姫の着用した装束の展示です。
本当は下記の2つが見たかったのですが…
 
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左:天璋院所用 腰巻(茶練緯地梅籠目文様)
(腰巻とは大奥の夏の装束)
右:天璋院所用 小袖(萌黄縮緬地雪持竹雀文様牡丹紋付)
(牡丹紋は近衛家の家紋)
展示期間が過ぎていて、入替えされていたのは惜しかった(>_<;)
しかし、実際に見る事が出来た下記の3点も
一生に1度お目にかかっただけでも嬉しい品でした。
 
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天璋院所用 小袿(萌黄葵唐草筥牡丹紋二陪織物)
(二陪織=地紋を織りだした上に
 別の色で丸文などを織りだした二重織りの織物)
 
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伝天璋院所用 打掛(白綸子地藤菊牡丹七宝文様)
(伝天璋院所用=「天璋院のものと伝わっている」の意で
 本当に天璋院が着用していたかは確証が取れていない)
 
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伝和宮所用 打掛(白綸子流水菊牡丹文様)
(白綸子は儀式の際に着用を定められていた)
 
中でも「白綸子」の2つの打掛は、
素材や形が同じ、意匠も似ているのに
天璋院の「きりり」と和宮の「はんなり」と
対比がはっきり分かる装束でしたから、
この2つを同時に見たことは、貴重な経験でした。
…やっぱり片道5時間かかっても、行って良かった(T^T)
 
この第3章には、
雛道具もたくさん展示してありました。
雛道具は“お輿入れ”の必需品で、
自身が使用する婚礼道具と同じ種類・同じ数を
ミニチュアにして持参する習わしです。
私は雛道具が大好きで、
過去にも毛利家の雛道具や鍋島家の雛道具などを
見てまわったことがありますが、
やはり三葉葵の散らしてある漆塗りのつやというか
重みが小さい雛道具にも感じられました。
貝合わせの雛道具が
蜆(シジミ)で出来ていたのにも感動〜♪
「これは蛤で貝合わせするよりも難しい」
雛道具は飾って楽しむものですから、
実際にシジミの道具で貝合わせをした事は
無かったでしょうけどね〜(^o^;)
 
◇第4章 幕府瓦解〜徳川家存続への思い〜
ここでも、篤姫から二条城に居る家茂宛の書状
(御早ゝ御所之御いとま出、御するゝと御帰城相成り候やう、
 守りゝまいらせ候、かよふ御時節むつかしき事ゆへよくゝ
 跡さき御かんかへ何事もうかつ御さた無やう願まいらせ候…)
和宮御側日記(庭田嗣子筆)
(天璋院さま御事、かねゝ西丸へ御わかれあそハし成らせられ度御事、
 御願あらせられ候処、先達て西丸焼失付、まつゝ当分二ノ丸へ成ら
 せられ候御事、今日仰出候事之由、万里小路殿や錦小路殿を以て、
 宮さまへ御申入付、何分ゝいまた大樹さまも御若年の御事、又、宮
 さまもいまた何事も御行届遊しかね候御事て、奥向何かの御事御心
 配さま思しめし候まゝ、今しはらく御同居て万事御世話遊し進しら
 れ候御事成まいらせられすや、今一応御願遊し候由…)
などで、
大奥に住む篤姫と和宮の姿をクローズアップしていましたが、
次第に幕府瓦解の色濃くなって来る様子が解ります。
有栖川家所用の錦旗、
勝海舟江戸開城図(明治18年頃・川村清雄筆)を見て
“徳川の瓦解”を印象づける展示に感心もしました。
静寛院宮(和宮)御日記の慶応四年の項には、
(後世迄当家 朝敵之汚名を残し候事、私身取候てハ実残念存為まい
 らせ候、何卒私への御憐憫と思しめされ、汚名を雪、家名相立候様、
 私身命かへ願上まいらせ候…)とあり
「和宮も必死で願い出たというのは、真実だったんだ」と頷き
官軍隊長宛の天璋院書状には
(大阪城に於いて家茂公が亡くなって、慶喜が上京中だったから
 跡目相続となった事を、止める術も無かったから黙認したけれども
 (中略)此度御所より朝敵之御沙汰を蒙ったことを、承知したと
 知って驚き入り、実に実に容易ならざる事と、天帝に対して私た
 ちは恐入り、当惑心痛して、手をかへ品をかへその事訳を当人
 (慶喜)に尋ねるけれども、当人は只ただ恐入候とのみ…)と
篤姫は本当は慶喜に相続させるのは否だったんだと
訴える内容に、涙が浮かびました。
勝海舟・西郷隆盛の話し合いの裏に
天璋院・静寛院宮の紅涙でしたためた書状があって、
江戸城は無血開城されたのです。
 
◇エピローグ 明治の天璋院
慶応四年四月十日に、天璋院は江戸城を出ました。
無念の思いはあったでしょうけれど、
田安亀之助の徳川宗家相続が認められ、
嘆願書に込められた願いは通じました。
天璋院は江戸城を出たあと、住所を転々としながら
未だ幼い亀之助(のちの徳川家達)を養育することに
心血を注ぎます。
一度は京都へ戻った静寛院宮も、
また東京に立ち戻り、
以前は何かと対立しがちだった篤姫・和宮の仲も、
過去のわだかまりは融け、仲睦まじく過ごします。
勝海舟も「お付きのものたちの口さがなさから
行き違いしただけのこと、相対して腹を割ってみれば
すっきりとお付き合い出来る仲であった」と記していました。
その静寛院宮も明治十年箱根で湯治中に脚気で亡くなり、
その後同じく箱根へ、病を癒す旅に出た天璋院は
静寛院宮終焉の地で歌を詠みます。
むねふさがり懐旧のなみだ袖をしぼり侍りぬ
  君が齢とどめかねたる早川の
     水の流れもうらめしきかな

また旅の空にある天璋院を千駄ヶ谷邸で待つ
七十五歳の本寿院(家定生母)の手紙には、
(嵐が来た夜は、とても恐ろしく、またお留守なので心細い)とか
(早く帰って来て、畑で採れた水茄子を好物の漬け物にして
 食べさせてあげたい)と書かれていて、
やっと天璋院は“家庭”を持てたんだと、
安堵して羨ましく思える展示で幕を降ろしました。
 
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激動の時代というのは、こうも人を翻弄するのかと
心痛し、苦悩する箇所も数々あった特別展でしたが
また改めて、平和を考える機会も与えてくれた
いい展示でもあったと思います。
東京・大阪・鹿児島と行われたこの特別展も
10月17日(金)で終了ですが、
また何かの機会に、今度は違う視点で
もう1度見てみたい内容でした。
う〜む やっぱり行って良かったなぁ〜
 
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【鹿児島1泊2日・その4】に続きます。
by mar_beads1010 | 2008-10-05 14:38 | 出ある記=BLOG版=
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大層なタイトルですが、日々の細々したことを簡単に紹介出来たらいいなと思います。
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