『龍馬伝』第10回・引きさかれた愛先週二度目の江戸の活動が始まったと思ったら、 えっ(+_+)-☆ もう目録ですか… お玉ヶ池・玄武館での修行が無かった…ということは、 清河八郎や山南敬介・藤堂平助との接点は?(>_<#) 「剣の道を究めたからには、 人としての道も、己で切り拓いていかねばらなぬ」 定吉先生の言葉は、これから旅立ちをする人たちにも 勇気を与える言葉になりますね。 今回はタイトルロールにどきどき♪ ぬっくんが乙女ねぇやんの…あはは(^o^.) 土佐藩家老の柴田備後。 最初は、斉木しげるさんと思いましたが、 間違ってましたm(__)m 龍馬と別れの言葉を交わす、佐那嬢。 「あなたのことをお慕い申しておりました」 …自分から、告白する。 その時代には、きっと考えられないことですが、 でも、もしかしたら、二人っきりになったら、 そんなこともあったのかも、と思いました。 「土佐には、大事なもんがあるがです」 そんな龍馬の姿が消えてから、涙が流れます。 ぬっくんこと、岡上樹庵さん登場です\(^o^)/ …月代が、自毛だし(^o^;) よかった~(^.^)♪ ねぇやん、結婚して。 このままだったら、どうなることかと… そして♪ 先週からお待ちかねの入浴シーン♪♪ 思ったより、悩みのシーンじゃなくて、 乙女ねぇやんとの和やかシーンで嬉しい(*^-^*) 思ったより、お姿も拝めませんでしたがσ(^_^;) 加尾との“秘密の場所”は、小さい神社の境内… この神社が今回は重要なキー・ポイントに。 そしてここで龍馬は加尾にプロポーズ。 「ほんでの。いつか黒船も作りたい!」 「でっかい黒船をもっての、世界中を旅して回るがじゃ」 「家族と… おまんを乗せての」 「えっ」 「加尾。わしはもうどこへも行かん。 おまんの側におるきに」 「わしの“女房”になってくれんかえ」 「…はい」 ま。ま。ま…はいはい。ふむふむ。 んで、ここからが…今回の見どころやけんね。 草々兄さん…ぢゃなくて、後藤象二郎さん登場(*^^)v 弥太郎さんは、東洋さんの命で牢から出ます。 牢に入ったのが、実際より時系列として遅かったから、 東洋さんの門下で学んだことが抜け落ちてますが、 象二郎さんとの面識はここで出来たことになりました。 「井伊直弼の政事を批判し、隠居させられた藩主・豊信公から…」 ん? 安政の大獄の始まり部分は、 なんだかさらっと、ホントにさらっといきましたね!びっくり!! 豊信公は、これで隠居・容堂になりまして、 江戸の、品川の土佐藩下屋敷で蟄居します。 家老(ここでは側用人)の職を、東洋の“緊縮財政策”によって解かれた 柴田備後が、武市半平太のパトロンになるようです。 武市さんは、収二郎さんを始め[武市派側近]と額をつき合わせて これから京におくりこむ“隠密のおなご”の相談… でも、以蔵くんには「ちっくと難しい話」ということで、 見張り役を言いつけ、部屋には入れません(-_-;) 以蔵くんの、ちょっと淋しげな顔と これからの“役割”がちらりと見えます。 『土佐一ノ宮』の額… お!土佐ロケのシーンだ!! 予想より早かったです(^.^)♪ 弥太郎さんが[東洋様のご推挙]で長崎に行くのを、龍馬が見送ります。 ふふふっ。主役が絡み合うシーンもしばらく見納めだからね。 明るく伸びやかな鎮守の森の日差しが、 明るい龍馬と意気揚々の弥太郎に似合うやん♪ 龍馬に贈られた簪を、うっとりと見つめる加尾さんのところに、 難しい収次郎兄上がやってきます。 そして、加尾さんが“隠密のおなご”に選ばれた事を… 「いやです」…加尾ちゃん、はっきり言うねぇ(-_-;) 「おなごは他にもおる」という武市さんに、 収二郎兄上は、 「わしは、妹の幸せを願うちゅうきこそ、京にやると決めたがです」。 平井さんちは、下士なんだから(このドラマではね) 兄上のいう“妹の幸せ”はもっとも。 だから…今回のドラマ流れは、私は龍馬に否定的になってしまう(/_;) そんな訳で、そもそも平井さんのおうちを下士にして、 龍馬の手に届く位置に加尾さんを持ってきた、 このドラマ最大の謎(←おおげさ??)と、 そして、そのことを一切口にしない、N○K側の意図がわかんないよ(-_-;) 【↓ここから下は、今回のドラマに感涙した人は ↓読まんほうがいいと…思います↓】 ※読みにくいので、ドラッグして色を反転させて下さいね もし、私がこの回を書くとしたら… 龍馬の手紙のこの部分を参考に、ちょっと違うものにすると思いました。 「ねぶともよくよくは(腫)れずてハ、はり(針)へハうみ(膿)をつけもうさず候」 (腫れ物も、しっかり腫れきってしまわなければ、針を刺して膿を出すことは出来ない) つまり、物事には時期・時流というものがあって、 それに乗るタイミングに出合うには、じっとそれをまたなければいけない… 加尾との“結婚の時期”も… 「今は結婚の時期ではない。天がそれを示しているんだ。 この時節、結婚前の女性が、自国以外・親の庇護以外で 経験を積むことは一切無いわけだけど、 加尾はこれをチャンスに、大きな経験を積むことが出来る。 自分(龍馬)も江戸へ出て、貴重な経験をいくつも得た。 今度は、加尾にもそれを経験させてやりたい」 ま~ね(^o^;) こんな達観したような意見を吐いても、 ドラマにはならないんでしょうけどね(^_^;) でも、そんなことを考えてしまうくらい 今回は“龍馬らしくない”という 思いが非常に強かった訳です。 今回、一番ドラマの流れとして、 「よく出来ているなぁ」と感心したのは、 柴田備後と武市さんの関係。 初対面の時には、玄関先に武市さんは土下座だったのに、 加尾との話が進むごとに、縁先になり、 遂には次の間とはいえ、座敷に上がることが出来る… 「『攘夷』に奔走する」ことで、 上士に認められることが、どれだけ凄いことなのかが、 武市さんが柴田備後の家の中で座る位置だけで表現されていて… 武市さんが自分の意志を貫こうとするのも分かる気がしました。 さすがに「龍馬伝紀行」では、 平井収二郎・加尾兄妹が、上士だったと解説するかと思ってましたが、 そうじゃないんですね(-_-;) 加尾の遺品として残されている[胴掛]は、 何に使うのでしょうかね~と思って調べてみました。 三味線を弾く時に、右腕がふらつかないように、 滑り止めとして使うものだそうです。 紀行では「龍馬と加尾」の文字だけがあるように映っていたこの[胴掛]ですが、 龍馬以外でも、池内蔵太・望月清平・吉村三太(後の海援隊士・丸岡完爾)の 書が寄書きされています。 これは加尾が、国事に奔走する志士たちの“女同志”であった証であり、 「龍馬だけの加尾」では無かったということ…だと思います。 追記:四国のNHKスペシャルをほんの少し見ました(BS-hi)が、 ここでも、加尾さんは“幼馴染”でも“上士の娘”とは紹介されていませんでした。 …はぁ~(-_-;)
by mar_beads1010
| 2010-03-07 23:27
| 『龍馬伝』
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