Margarita =ぶろぐ枕草子=

長崎の歴史に触れる【長崎年末年始ツアー・その3】

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大浦天主堂は、日本最古の現存するキリスト教建築物で、
国宝に指定された唯一の洋風建築でもあります。
正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。
慶応元年(1865年)2月19日、フランス人宣教師プティジャン神父(後の初代長崎司教)により大浦天守堂は建立されました。
建立の許可が下りたのは、外国人居留地内の外国人のための教会が必要だったからで、
日本人への布教活動は一切禁じられていました。
建立まもない「フランス寺」は美しさとものめずらしさで付近の住民たちが多数訪れていました。
そして、プティジャン神父には今でもカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないかというわずかな期待があったのです。
 
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3月17日、いわゆる隠れキリシタンであった、「イザベリナ(杉本)ゆり」という52歳の女性を中心とした長崎・浦上の住民十数人が大浦天主堂にやってきて、祈っていたプティジャン神父に近づくと「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私の宗旨はあなたの宗旨と同じです)とささやき、「サンタマリアの御像はどこに」と尋ねました。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックであると考え、自分たちは三百年に亘る厳しい迫害を堪え忍びひそかに守り伝えたカトリックの信仰を告白して神父を喜ばせました。
 
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やがて、浦上だけでなく長崎地方全域で多くのキリスト教徒が信仰を守り続けていたことがわかり、この“信徒発見”のニュースはやがて当時のローマ教皇・ピウス9世のもとにもたらされました。
教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだということです。
 
しかし、この“信徒発見”は後に「浦上四番崩れ」という悲劇を招きますが、
欧米列強の干渉を受けて、明治6年(1873年)2月24日、遂に日本政府はキリスト教禁制の高札を撤去し、長い迫害の時代は幕を下ろしたのでした。

 
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信徒発見のレリーフの前には、こんな可愛いベンチもありますので、
こちらでちょっと休憩をしながら、
長崎のキリシタンたちの事を考えてみるのもいいかと思います。
 
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グラバー園名物はこの長〜い“動く歩道”。
 
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途中、左手に有名な海星中高等学校が見えます。
 
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動く歩道の先には、
かつて外国人の居留地との境を示していた石柱があります。
 
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安政6(1859)年、横浜・函館と共に開港された際、
外国人が勝手に日本中を出歩かないように居留地を決めました。
幕府には貿易の権益は幕府だけに独占していたいと、
未だ江戸時代初期の概念があったためです。
以降、外国人が日本のどこに住んでもよいようになるまで、
なんと約40年もかかっているのですが、
そのため、居留地に住む外国人にはただの“隣人”というだけでなく、
親戚のような絆が生まれていたように感じます。
 
グラバー園の最上部に位置するのが、
こちらの旧三菱第2ドックハウスです。

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“ドックハウス”とは、修理のために船が造船所に入っている間、
乗務員たちが宿泊した施設のことです。
この建物は、明治29年に三菱重工長崎造船所の
第2ドックの完成と同時に建てられたもので、
昭和45年以降に、グラバー園が整備され始めたのちに
こちらに移築されたものです。
 
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見晴らしが良く、広々とした建物なので、
ついグラバー園の顔的存在に思っていたドックハウスですが、
今回、このドックハウス内で
グラバー園の歴史を紹介しているビデオを見て
(にわか雨が降ったり止んだりして、
 雨宿りも兼ねて初めてじっくり見ました)
「移築して来た建物なんだぁ」と知った次第です(^^ゞ
 
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もともとこのドックハウスがあったであろう、
三菱重工長崎造船所も、この場所からははっきり判ります。
「お正月だから、今日はお休みだね〜。
 クレーンが動いてる様子は、ちょっと見れないね」
 
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2階のベランダから見た、錦鯉のいる池。
池の端には「錦鯉 Nishikigoi」という看板が…
外国人観光客も多いのでしょうね。
 
ウォーカー邸も移築された建物です。
 
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ウォーカーさんは親日家で知られ、
建物にも日本建築が取り入れられているそうです。
ベッドの脇に、屏風が立てられているのがなんとも現代風で、
インテリアも現代に通じる雰囲気がありました。
 
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もともとこの南山手の土地にあった建物は、
リンガー邸・オルト邸・グラバー邸の3つです。
 
リンガー邸
 
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オルト邸
 
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グラバー邸
 
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この3軒は、開国前からすでに強い結びつきがあったようで、
オルトさんが越した後、リンガーさんが買い取ったり、
グラバーさんの息子が借家住まいしていたり、
親戚のようなつきあいをしていたことが、
各邸宅の企画展示の写真などからも分かります。
 
今回、グラバー園で知ったことの中に、
グラバーさんが慶応元年に
長崎の大浦海岸で蒸気機関車を試走させたこと。
慶応元年って…伊東甲子太郎が新選組に入った年で、
京都や江戸では、浪士が夜な夜な跳梁し、
幕府が未だ力でそれを押さえ込もうとしていた時代(-_-;)
西欧の先進性と、日本がまだ未成熟だったことを
改めて心に刻みました。
 
グラバーさんの長男は倉場富三郎さんと言います。
「グラバー=倉場」のもじりに微笑を誘いますが、
この富三郎さんは、第2次世界大戦中、
日本軍に執拗にスパイ嫌疑をかけられ、
終戦直後の8月26日に自殺されています…
生きておられたら、原爆投下後の長崎の復興に
どれだけ尽力されただろうかと思うと、
悲しい歴史の現実に涙してしまいました。
 
幕末の雰囲気はこれだけではありません。
グラバー邸の廊下の天井裏には、
浪士たちを匿う隠し部屋がありますし、
また、庭には薩摩候から贈られた
樹齢300年の蘇鉄があります。
 
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今年始まったNHK大河ドラマ『篤姫』で、
薩摩藩のお屋敷の庭に蘇鉄が映る度に、
「蘇鉄は薩摩の象徴なのね。グラバーさんちにもあったし」と
ついつい頭をよぎってしまいます。
 
グラバーさんはとても植物が好きだったようで、
肖像写真にも必ず植物が写っていたそうなのですが、
お屋敷にも立派な温室があります。
なんでも洋ランの“シンビジューム”を日本にもたらしたのは
グラバーさんなんだそうです。
 
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その温室にある狛犬。
これは、キリンビールのラベルのモデルになった
狛犬なんだそうです。
 
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グラバーさんは、
キリンビールの前身「スプリング・バレー・ブルワリー」の
基礎を築いた人なんだそうで、
キリンビールのラベルに描かれている麒麟のおひげが長いのは、
グラバーさん自身のおひげになぞらえているからなんだそうです。
グラバーさんって、
ホントに日本の歴史に大きく貢献しているのですね。
 
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グラバー邸を出て、出口に向かう少し手前には
長崎伝統芸能館があります。
“長崎おくんち”の様子を映したビデオ上映や、
傘鉾・龍などの模型が展示されています。
 
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大浦天主堂とグラバー園は坂の上にありまして、
その坂の両側にはお土産物屋さんがいっぱい。
そして、坂の下には
“長崎チャンポン”の発祥地として有名な『四海楼』があります。
 
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その四海楼の入り口には、
「順風耳」と「千里眼」の像。
 
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この2人は、中国の天帝を守る眷属で、
孫悟空にも出て来る、中国ではメジャーな神様。
四海楼はこの日は元旦でお休みでしたが、
お休みの日でも、
なんだか建物を守っている雰囲気のある像でした。
 
(「その4」へ続く…)
by mar_beads1010 | 2008-01-01 23:00 | 出ある記=BLOG版=
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大層なタイトルですが、日々の細々したことを簡単に紹介出来たらいいなと思います。

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